映画「クライマーズ・ハイ」

レディースデイを利用して見てきました。堤さんスキー堺さんもそこそこ気になるーというだけではなく、やっぱり扱ってる素材が非常に興味深くて。公開前から気にはなってたものの、何だかんだで時機を逃しようやく見る事ができました。以下に少し感想…というよりは思い出語り的なものを。公開から日も経過してるので特に隠す必要もないかなーと。


日航機墜落事故の夏、私は9歳か…。ちょうど千葉の親戚宅に滞在中で、両親や親戚とテレビを囲み事故ニュース映像を食い入るように見つめてたのを思い出します。千葉から帰りの飛行機に乗るのがとても怖かったとか、帰宅してから新聞雑誌の事故関連記事を読みまくりスクラップしたりとか(今思えば変わった9歳児ですが、それだけ事故の衝撃が大きかったのかなと)、今でも断片的にですが鮮烈に記憶に残ってます。「クライマーズ・ハイ」において、日航機墜落事故はあくまで(言い方は悪いですが)物語進行のオプションであると私は認識しました。事故そのもののドキュメントともはたまた問題提起とも微妙にズレる。本作においては、そういう位置づけでも構わないと思います。凄惨で焦燥感に溢れて、それでもなお愛や命のドラマが織り成されたあの夏を忠実に再現というのは、どんなに尽力しても“つくりもの”にしかならないと思うので。それだけの出来事だったのです。
で、私が本作の核だと思ってる“未曽有の大スクープを前にした地方新聞社の混濁”っぷりの画は、とてもおもしろかったです。私は大学時代、新聞部に所属していたので、もちろん学生新聞と一公共紙を比較するのはお門違いなのですがそれでも「これ、すごいわかるわ…」と食いつける場面がそこかしこに。広告主との兼ね合いとか販売部(印刷所)との駆け引きとか、大手一般紙とのスクープ合戦とか内部の派閥抗争(笑)とか。何より書き手としての、大スクープを手にした時のゾクゾクする高騰感、でも新聞というがんじがらめの公共制を前にダブルチェックの連続でどんどん臆病になっていく、周囲の人間も次第に疑心暗鬼になっていく、まさに“クライマーズ・ハイ”の最中にかつて確かに私も身を置いてたなあと。一種の回顧も混じりながらこういう楽しみ方ができたのは得した気分。どんなに衝突していがみ合っても、新聞屋の本質にあるのは“真実を”“より早く”“より正確に”“より多くの人に届ける”という思いなのだと。息詰まり行き詰まり燃え上がる前に消沈…という展開においても、それぞれに持つ本質が最終的にきっちり結束を見た、というのも爽快でし
た。気になったのは、新聞業界用語(?)をはじめ、背後の人間関係とかの説明も特になくハイスピードで進んでいくので、頭の中でパズルを組み合わせるように整理して読み解くのがけっこう大変だった事。それにより、重いテーマから来る疲労感に輪がかかったのでした。これは、私が原作未読だからというのもあるのかも。
堤さんはもう文句なしにステキガイでしたが、堺さんの“極限を見た”後の獣のような眼差しに心底ゾクッとしました。何だか、凄い人だ。