楽しい思い出を書く前に

嵐コンにてちょこっと思った事を。いちおうコン本編に触れてます。内容的には特に楽しくもない着地点もないつぶやきなので、不愉快な気持ちを抱かせてしまったら申し訳ありません。コンサートそのものはほんっとうに楽しかったのです!




日常的に、WSとかニュース番組をハシゴしてるのですが、ネタの使い回しがこんなにも横行してるとは。特に日テレは笑っちゃう位ひどいです(笑)。夕方〜夜のお固い報道番組で組まれる特集(「独占取材」とか銘打って)が、実は数日前にWSでちょこっと取り上げられたネタ発端だったりして、扱う番組によってこうも印象変わるものかという発見がちょっと面白い。本文二度目ですが、ホントに日テレはひどいです(笑)。さすが、“eco”を局挙げて謳ってるだけの事はあるのでしょうか。
で、もう世間は猫も杓子もecoエコエコ状態ですね。エコエコアザラク。その余波が嵐コンにまで及ぶとは、です。グッズの「ショッピングバッグ」→「エコバッグ」と、名称が変わっただけなのに何だか違和感。そして、コンサート本編で唐突に始まるeco精神的コーナー。エンターテイメントとecoは本来真逆にあるものだと思うので、すごく異物感を抱いてしまいました。やるならばどちらかに統一すべきではないかなーと。
リーダーがグッズのecoバッグを手に、客席へeco精神を呼びかけ、5人で新曲「green(?)」を披露しました。「green」は純度100%のecoソングで、嵐は真摯に歌い上げていたと思います。そんな彼らを見て、悪意抜きで「ecoイメージキャラクターにはぴったりだな…」なんて考えを抱いてしまいました。もちろん、目前に迫った日テレeco特番のイメージキャラクターを務めるのはエイトさんであり、着々と動き(ロケ)も進んでいるのですが。キャラクター内定時に感じた違和感がよりいっそう強くなりました。今、推奨されているeco活動って“余剰分を切り捨てる”というイメージが私的に強くて。“満たされた土台がある”という前提がないと“余剰”は生まれない。つまり、ガッツガツとお皿まで食い尽くす勢いで(笑)貪欲なエイトさんにとって、“余剰(=余裕)”なんてものはありえないんじゃないかと。あくまで思い込みイメージですが。それに対して、嵐っこはecoを謳うに見合うだけの“余裕”を感じるのです。ふわふわかわいくて爽やかで邪気がなくて何色にも染まれるような、メディアのマスコットとしては、そんな表面上のイメージだけで十分、むしろその視覚的イメージこそが最優先事項でないのかとさえ思います。
……何だか“eco”を目の敵にしてるような感じですが…。そもそも、いま街に横行している“eco”の文字からは商業の匂いしか感じられなくて、私はどうしても辟易してしまうのです。もちろん、環境学とかそっち方面に深いわけでは全然ありませんが、本来尊いものであるハズの精神を安売りしてるように見える現状に乗っかる気にはなれないです。“eco”=“ego”の押し付け、とまで思ってしまうのは、私があまりにも卑屈だからでしょうか。