OSAKA凱旋CONCERT 感想その一

オーラスからだいぶ日が経ってしまい、細部まで手が届くものではありませんが、感想を残しておきます。とりあえず思いをタラタラと書き付けてるので長ーいです。行ってよかった、見る事ができて本当に良かった、そう思えるコンサートでした。


※ご老体PCがどうにもこうにも不調なので、まだまだ途中(というか序盤)段階ですがいったんUPします。




8月の松竹座(※関ジュコン)公演から凱旋コンまでの短い間に一体何が起こったのか!?という位、私がそれぞれのコンサートから受けた印象は大きく違っていました。
それは何故?私なりに分析してみると…

  • 松竹は壮大な公開リハ(略)だった
  • 関ジュが平成7西を受け入れられた
  • ヲタ(私)も平成7西を受け入れられた
  • 淳太王子の華麗なる復活
  • キィキィがかわいかった
  • SHO!和/Hey!Say!の棲み分けがうまい具合に成功

こんなものかな。凱旋コンの楽しさ・多幸感を書くには、先に8月公演について触れなければなりません。
とにかく、8月公演を見た直後の絶望感は相当なものでした…。関西にも忍び寄る変革(世代交代?)の波がここにきて一気に表面化した、というのも大きいかもしれませんが、関ジュ全体を覆う空気が今までになくバラバラでまとまりないものに感じられたのが(特に昭和/平成間の世代断絶)(あくまでも主観ですが)ショックでした。そもそも、私が西の子たちへと一気に傾倒したのは、現エイトメンバーを先頭にギューッと固まった暑苦しい一体感に惹きつけられたからで。エイトが巣立った後も、緩やかで穏やかながら“みんなで上へ上へ”精神は後輩にもきちんと受け継がれている、そう思っていました。上から下まで絶妙に保たれていたバランスが、この夏崩れた。そのズレを生み出した大本は、やっぱり事務所お得意の強引な人事変革にあるのかもしれない。とにかく、彼らの間に生まれたちぐはぐでギクシャクしたものを(勝手に)感じてしまい、「これは私の見たい関ジュコンではないな…」「もう、私の見たい関ジュコンは見れないのかな…」と、ガックリ肩を落として松竹を後にしたのでした。


続く